岩淵大殿の人物像とその思想について


 

岩淵大殿の人物像とその思想について

 

著 研究所員

 

拙き文面ながら岩淵大殿とはどのような人物なのか、私自身が本人と直接触れ合って抱いた印象と関係者等から過去に聞かされてきた話について自分の記憶を整理しながら書き綴ってみたいと思う。

 

岩淵大殿は明治生まれの人間で、日本の歯科医師会を創設するにあたって理事長などを務め医学に対して真の医道とは何であるのか医療従事者に倫理性の必要を厳しく説き示し問題点を激しく指摘、社会に向けては特に精神衛生面での普及を行い医学界の牽引役となった。戦前戦後に彼の著した医学論文の数はあまりにも多く数え切れないが、その内容は一貫して人間として本来あるべき正しき道を語ったものになっている。戦前に彼を一躍有名にしたのは人間の姿勢生理を独自に研究した「人体三角原理」という学説の存在である。この発見を当時の医学界に発表した事が話題となり、陸軍大将 荒木貞夫閣下を名誉会長に迎え普及団体や学会が組織されたが、戦時下に於いては日本の指導者層に大きな驚きと影響を与え日本国天皇に対する御前講義の段にまで話が及ぶこととなった。この原理の内容を現代風の言葉に要約すれば普通の一般人が透視眼や未来予知、カミガカリ、テレパシーなどの特殊能力を得る「超能力者」になるための科学的な理論と方法論といった具合である。実際にはそういった方向性で研究された内容では無いのだが、戦時の世の中ではこういった部分に注目が集まり必要が求められたので軍隊に於いては一部の教育機関でこのような目的での普及が行われた。戦前の日本は天皇を最高道徳者と位置付け、全ての国民は道義的道徳的根源としての天皇を敬い神と崇め信仰する民族であった事から、天皇を中心に神格を有する人物〔科学理論上これを私語能心理者と呼ぶ〕を国家の中枢に数万人配置する構想が立てられ終戦間近に実行される流れに至ったが、その段階で東京大空襲に見舞われ、活動拠点であった普及道場が焼かれ殆どの研究物が焼失、活動団体の関係者達も自宅を失い、この計画は戦災と日本の敗戦による混乱により実行不可能に陥り中止となった。東京大空襲によって道場と家を失った彼と彼の家族は、出身地の信州へと疎開した。疎開先は善光寺街道沿いにある岩井堂という岩山を登ったところにある古い霊場であった。其処には数多くの石仏があり洞窟が存在しており、彼はこの場所で終戦を迎えその後は数年間家族と共に山中に籠もって厳しい修行生活を続けた。その間世の中はGHQの占領下にあり、彼の団体や活動を中心となって支えていた陸軍大将 荒木貞夫閣下をはじめとする多くの指導者達がA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収容される事態となった。彼は疎開先のこの洞窟から容疑者の無罪を主張する文面を裁判関係者に送り続け、無罪釈放を求めて懸命に死闘を続けた。そして極東国際軍事裁判が閉廷してから後も荒木閣下などとの間で頻繁に文のやり取りを行い、今後の新しい時代の日本をどのように導くべきかについて意見を交わした。戦後に発せられた俗に言う昭和天皇による「人間宣言」の影響は彼と彼の関係者に大きな衝撃を与え、関係者同士の天皇制に対しての考え方は大きく二別される結果となった。日本国憲法失効論を軸に明治憲法への復帰と帝制の復活を主張する荒木閣下のグループと、このような崩壊を招いた原因は天皇制の何かが間違っていたからに違いないといった疑問から、反天皇路線の中心思想を築こうと努力する大殿のグループとに関係者が分裂、荒木閣下と大殿の間で意見が激しく衝突した。巣鴨プリズンから釈放された荒木閣下は別称救世荒木会とも言われる組織活動を再開、大殿にも繰り返し参加を求めたが方向性が異なるとして参加を拒否した。但しお互いの救世の気持ちには異なる部分が無く、大殿自身も昭和二十三年頃から救世大霊教という団体を設立して彼独自の路線で天皇制に代わる中心思想の普及活動を全力で行った。両者の関係は死ぬまで続くが荒木閣下筆頭の団体としては民族姿勢学会などが意志を引き継ぐ姿となる。GHQ占領下の混乱期は思想的な弾圧があり彼の中心思想は宇宙大霊を信仰する教義として整理されたが、日本が独立を取り戻してからはそういった方向での整理は一段落して、医学者の本道でもある立体健康生活を社会に向けて唱える健康長寿活動へと変化していった。彼の思想はこの立体健康生活という方向性に集約され最終的には「大殿哲学」というものに完結させられた。其処で彼の中心思想的な流れを整理する。戦前の明治憲法下では天皇を最高人格者若しくは神格と崇める世の中に準じて天皇を国民の神格の中心として扱い、科学上は万民も神格を有するのだとした前提でこれらを各々が発現できる世の中にして民族的に優れたものにするべきだとの方向を述べた。戦後の日本国憲法下では昭和天皇が俗に言う「人間宣言」を行った事を理由に、単なる人間の一家族や一人に対して全国民が大切な財産や命を捧げる必要性は無いとして、天皇に代わり宇宙大霊というものを神格の中心に定めた上で万民が有するところの真善美なる神性を何人もが発揮していける社会を目指すのだといった方向性を述べた。そして、それは社会が占領下から独立国に移り変わる中で神道的な色合いから佛教的色合いへと変化して、彼が独自に生み出した大同哲学へと進んだ。医師である彼は世の中の一切の暴力を憎しみ、反権威主義、反暴力主義を立場であった。そして大自然主義、大自由主義、大家族主義、大博愛主義を掲げ続け、その言動と行動は陸軍大将 荒木貞夫閣下の基本路線と寸分違わないものであり価値観は殆ど同じものであった。ただ天皇道についてだけ「人間宣言」以来方向性を異にした。その考えの違いについては彼自身が執筆した「日本国天皇論」などの論文により、詳しく語られているが、彼の著作物には日本国天皇を神格とする扱いの理論というものは戦前戦後を通じて一つも存在していない。天皇に対する考え方の基本は「我々国民の道義的且つ道徳的な根源としての位置付けに成り得るのか、天皇という存在が其処に認められるのか認められないのか」であって、それが国民にとっての敬いの対象であり信仰であるといった事である。神格というものは各々の人間が有する最高人格を言うものであり、民族の中心に任意の一点を定める場合にはその中身が我々の求めに正しく合致しているのかが大きく問われる訳だ。それが各々の安心立命へと結び付く道であり、安心立命に成り得ない道というものであったならば、我々の求めている答えとはならず進む方向性とならないのである。彼自身はその答えを天皇ではなく、宇宙大霊に求めた。そして晩年は佛教へと大きく傾倒して岩山に坐して「即身仏」という姿で人生を終結することを目指した。「大宇宙の目には見えない大なる存在に畏敬の念を抱き其処に信を置くこと」このような言葉を残してこの世を去った訳であるが、山中で「即身仏」になるといった希望は時代の変化により、社会的には理解されず反対された為に実現されなかった。現代人の解釈では単に老人が山中で餓死して自殺しようとする気の狂った行為、若しくは現代版「姨捨山」の如きものだとしか認めないので関係者も協力することが不可能であったのだ。老後の彼は絵画を描いたり、郷土史を書いたり、物語を書いたりもした。研究論文は年齢と共に直感的霊感的に思い付いた内容に従う綴り方となり、細かなことは本人ではなく助手達に内容を口頭で伝え筆を執らせる姿へと変化した。日々の生活では散歩を習慣にしていたが、自宅から出て町内を正三角形に移動する「三角運動」というものを常に行っていた。私の記憶している彼の姿は普段は物静かな人物であったが、常に何かを頭で考えていて直観を得ると筆を執るために部屋に走り出すという研究熱心な人といった印象が残る。彼の死期には私の母親が看護役を担ったのだが、死を看取るまでの間に彼は様々な事柄を口頭で彼女に伝えた。私は当時幼かったが彼について良く知っている理由は、その伝え残された内容を後に詳しく聞かされたからである。それによって私自身も物事の考え方に対して強い影響を受けた。大殿の思想や研究は彼の死後、その息子や家族、関係者達によって受け継がれて行き様々な方向へと変化して行ったが、独自の独創論や芸術方面へと膨らんだ。各々に共通しているのは、自由尊重、世界平和、人命重視、暴力反対、人権博愛、自然保護、動物愛護、弱者救済、健康長寿、万民平等、その他、このような内容を主張して訴える人達ばかりであるという事である。大殿は「迷信」というものを強く嫌い、霊の存在は認めるが霊は虚の存在であるとして霊の力に従う根拠無き生き方を否定した。故にある意味では無神論者でもあった。戦後は間違った迷信が世の中を狂わせ社会や各家庭を破壊したという主張を行っていた。彼は根拠のない迷信によって生活が支配されることを呪い、人々をその呪縛や苦しみから解放することを使命にした。そして間違った宗教から解放される道も説き示してきたが、私自身も彼の考え方に同意する同様の立場に立つ人間である。医学は人命を尊ぶ分野であるのが当然で、医療行為や医学書というものは人命や人道を傷付ける目的に使用してはならないというのが大原則であらねばならい。従って仮にも、殺人や暴力、人道を犯す行為、人類に対する犯罪行為を容認する又は容認させる目的で実行若しくは使用するといった人間に対しては寛容であってはならないのである。それはそのような人間がどのような宗教教義を持ち出してこようが許されないものなのであって、その信仰内容や迷信を理由に正当化できないものなのである。医学の基礎を築いた人々はそのような野蛮人達に野獣の如き蛮行を行わす為に研究を積み上げてきたのでも、努力して生きてきた訳でも無いのである。故にどのような信仰を持ちだしてきても、それらは限られた人間達にとっての信仰なのであって我々一般にとっての信仰では無いのだから従う義務は無いのである。そのような一般の価値観を無視して自分達に都合の良い価値観を押し付けてくる輩達というのは医学を冒涜している者達に他ならない。医学はモノでは無く生命である、神聖な魂と尊い犠牲を数多く積み上げて築き上げられてきた分野なのである。医者は聖人でなければならない。利益を得る為に罪のない人を殺害して恥じることのない医者共は医者ではなく単なる獣〔ケダモノ〕だ。極刑にするのが当たり前である。大殿は常に医学に倫理の必要を強く説いた。またそれを理解しない者や理解しようとしない者達を徹底的に叩きのめしてきた。従って私自身もそのような輩達に対しては天意として徹底的に叩きのめす姿勢を基本としている。人に対して神性を認めるといった場合、其処には各人間にとっての真善美な姿というものを該当させる。その者達が仮に聖職者の地位に居ようが真善美な姿というものに該当しなければ聖職にあって神聖にあらずで、頭を垂れる必要も従う義務も無いのである。それらの者達は場合によって我々人類の敵であり討伐するべき対象である。大殿の家系は常に蝦夷討伐や将門討伐の主力を担い歴戦を勝ち抜いてきた武門の家柄〔討伐軍〕であった。先祖代々「人の道義的且つ道徳的根源を破壊する存在を絶対に許さない」血筋なのである。本人の思想や自信はそのような血筋を誇りとして固められている面も強いのである。一言にまとめて締めくくれば、岩淵大殿という人物は人命を第一とする人道主義者であり、人は障害や疾病の有無に関係なく誰もが健康に生き幸福であらねばならないと主張する健康生活主義者であり、平等主義者であり、暴力と破壊を憎しむ平和主義者である。そして人々に各々の有する最高人格「真善美」の発揚を積極的に求めた運動家であり哲学者である。また混乱する世の中にむけ羅針盤を示そうと努力してきた救世の人である。