岩淵大殿の人生


■岩淵大殿の人生

 

岩淵大殿の八十余年の人生を明らかにする事は難しい。ましてや明治より戦前、戦中、戦後と日本の現代史と共に歩んだ彼を語る事は一層困難な事といえよう。今日の歯科医師会の一驚一動は大きな社会問題に発展する事は必至であるが、明治から昭和初期にかけての医師機構は旧態依然として進発がなく、その不備な点を痛感した彼は、歯科医師・歯科医科の向上に貢献し、今日の歯科医師会の基を築き上げていった。しかし彼は、法的地位の向上のみでなく、社会と医事とのかかわりに強く興味をいだき、精神衛生の健康なあり方を研究していった。早くから幼児検歯の必要を唱え、昭和八年学校歯科医制度が設立されるまで献身的な医料活動をしたことを忘れてはなるまい。今日では、社会的になった環境衛生などの研究は、やがて精神衛生学と発展し、その根源が仏教数理、特に曼陀羅の世界にある事に目ざめた彼は、この解明こそが一生の仕事と感じ、開業医である事にアマンじられなくなったという。「神託」を受けたという彼は、驚くべき早さで数理学等をおさめ、人間としてよりよい指向をめざしての研究は、有機集合論よりなる人間精神の解明にあった。それは人体姿勢生理と精神関係における研究を進め、「人体三角の原理」を発見した。まさに人間精神上の大発見であり、多くの有識者等に影響を与え、二十数回に及ぶ発表講演は、当時日本国天皇ノ前における「御前講義」のはこびの段となった。

 

この内容を伝承すれば、

『人体は四股躯幹頭部の間に、間接が多数あって屈曲している。そして姿勢を一立に保って運動を起こすが、その動きは数理学の集合論と一致した有機性を持っていた。そして


の運動から一度、角度間の凾数関係に立って合法的な運動を生む。つまり角度の歪の補正によって精神の働きと合一対比して算術級数、幾向級数的な動きがある。之に伴って人の心理を知る事が具体化しえる。其応用は、人間の脳の力を高め身体の向上を計る事が可能になる。すなわち、この姿勢をとれば急速度に脳の力が高まり正しい見識がやしなえる』と彼は表していた。

 

彼は自ら会得したこの姿勢学上の布教に勉め、多くの文人・墨客・政財界の拝徒を有し、研究に験算をつんでいった。日本の敗戦の痛手はやはり大きく、故郷である信州会田村に疎開し、岩井堂観音堂に妻子共々こもり自らの哲理にしたがい山中に坐すること、三年、増々彼の教理は絶対哲学への指向へと高められていった。この間の彼は、論理家としてでなく、修行に専念したわけである。それ故、彼の哲理は常に実存と即応した「行」からなる科学的見知といえよう。単身上京した師は焼煙ののこる東京にその布教に勉めた。一際を捨てた彼の哲理研究は時として妻子を返り見ない事数年、「世紀姿勢曼陀羅」全八幅の創作は、「大殿哲理」の絵解き曼陀羅である。歯科医師から始まり、精神の健康を唱え、医は術のみでは不可能な分野のある事に気づいてから五十年、彼の哲理はここに大集積されたといっている。絵筆をにぎったのは、当代有数の芸術家集団であった代々木クラブの創期会員で、若くしてから絵画にたけ、あらゆる人々に容易に理解ならしめるために三年の製作におよんだ。彼は、画家といわれる事を極度にきらい、自らの絵を、一巻の哲学書に等しいと常に語り意むけばおしげもなく与えてきた。一切の秘密をきらい、人間本来の姿より、天文学として全宇宙の謎解きをし、人間すなわちその愛に深く生きた哲人といえよう。最後に彼の言葉をもってこれを結ぼう。

 

『永却の壮翼は理論の前にたぎり立つ。現代のカインとセツはついに楽園の火剣を引き倒した。そして楽園の手品は限りなくあばれる』